こんにちは。野球専門カウンセラーの沖増茂伸です。今回は「私の夏の全国高校野球選手権大会地方大会その2」というテーマでお話をしていきます。
地に足がつかなかった初戦を終え2回戦を迎えた私ですがさすがに初戦のように緊張はしませんでした。気持ち的に余裕ができたのと試合する球場が広島市民球場(マツダスタジアムの前の球場)だったのである意味私にとっては夢の球場なのです。プロ野球選手が試合している球場に入れること、憧れの選手が座っているベンチに座れること、応援席からいつかあのグラウンドで試合をしたいと思い続けていた少年野球時代。そのグラウンドに立って試合をすることでモチベーションがかなり上がるのです。
しかも対戦相手は優勝候補でもありましたし投手がプロ注目選手と言うこともあり負けられないという気持ちが強く緊張なんてしていられません。もちろん仲間も優勝候補だからといって弱気になる選手はいませんでしたし向かっていこうという気持ちの方が強い選手ばかりでした。
負けない強い気持ちを持ち続けたまま試合に入ったので両者互角に試合が進んでいきました。周りから見たら私たちの高校は決して強いチームでもなければ優勝候補に上がるような高校ではありません。圧勝で対戦相手が勝つとほとんどの人が予想していました。そういった周りの声も私たちには入ってきましたから当然「なにくそ」という気持ちがいっぱいでした。
そんなチームではありましたが誰一人負けるなんて思いませんでした。今の仲間なら負ける気はしないとさえ思っていました。
ピンチになっても0点で守り抜く、点は取れなくてもチャンスを作る、そんな緊迫した試合展開で最初は優勝候補の相手の応援が多かったのですが、だんだんと私たちを応援する人が増えていったのです。それはグラウンドにいる私たちにもはっきりとわかるぐらいになったのです。その応援も後押しとなり力となりました。
このままいけば「勝てる」そう思いました。しかし、野球というのは本当に「流れ」によって一気に試合展開が変わってきますし底力のあるチームは一気に流れを変えることもできます。また、勝てないチームと言うのはここ一番で「ミス」が出るものです。それが野球なのです。
「気合だ」「根性だ」「絶対に勝てる」といった根性論が通用しない理由はここにあります。気持ちだけで打てたり、抑えれたり、勝てることは決してないのです。例えたまたま「気持ち」で打てたり勝てたりしても結局は続きません。なぜなら「なぜ打てたのか」「なぜ勝てたのか」が分からないからです。
話を試合に戻しましょう。
どちらかというと私たちの方に試合の流れが向いていました。その流れのまま試合の中盤、私たちに大きな流れと大きなチャンスがやってきます。
この回の先頭9番バッターがセンター前で出塁。1番がファーボールで出塁・2番の私がサードにセフティーバンドで内野安打。ノーアウト満塁でクリーンアップを迎えるのです。完全に流れは私たちにきました。
ここで3番バッターです。チームでも確実性はトップクラスのバッターです。それに塁上にいるランナーは全員足が速いです。外野フライでも1点は確実と思っていました。その初球です・・・
ベンチから出たサインはセフティースクイズ。(監督が出したサインが良い悪いは別にします)そのサインにバッターが見落としてしまったのです。3塁ランナーは慌てて戻りセーフになりましたが、ここで一気に流れを私たちが変えてしまったのと底力のあるチームが一気に流れをたぐり寄せたのです。
その初球で私たちはものすごく動揺してしまいました。当然バッターは見落としたことには気づいていませんでしたが私たちが動揺したことが伝わり、またベンチも動揺し作戦が何も出されないまま「打て」になりました。これを相手チームは完全に読み取っていたのです。
何も作戦がないと分かった相手チームは強気の攻めをしてきます。その結果3番バッターは内野フライ。4番バッターはサードゴロのゲッツーで0点で終わってしまいました。結局、完全に試合の流れが相手に行き何でもないゴロをエラーしたり、ストライクが入らなかったりとミスを重ね得点を許してしまったのです。
一度失った流れをもう一度こちら側に戻すことはできませんでした。なぜ、流れを変えることができなかったのか。それは簡単です。流れを変える術を知らなかったからです。勝ち方を知らなかったからなのです。流れを変える力があるチームは強いです。私たちはミスをずっと引きずったまま試合をしてしまいました。ミスが出た時、流れが悪いときにどうすればいいのか当時の私にはわかりませんでした。
結果、接戦ではありましたが優勝候補相手に2回戦で敗退し私たちの夏は終わりました。
前回の記事にも書きましたが私の記憶がなくなっている部分はここからなのです。試合に負け整列し挨拶をしてベンチに戻ってから帰りのバスに乗るまでの間の記憶がないのです。
ベンチに戻ってから私は泣いていました。泣いた私を当時のキャプテンが抱えて球場外まで連れて行ってくれました。くしゃくしゃになりながら泣いていたと聞きました。
なぜあんなに記憶がなくなるぐらい、顔がくしゃくしゃになるぐらい泣いていたんだろうといつも思います。負けた悔しさ?仲間ともう野球ができない寂しさ?親への3年間の感謝?どんな感情で泣いていたのか思い出せないというか、なぜ泣いていたんだろうと不思議に思います。
3年間本当に野球だけに没頭してきました。何かを犠牲にして過ごした3年間、甲子園を目指し本当に血を吐くほど厳しい練習に耐えた3年間が本当にあの一試合で終わってしまう。ふと「3年間は何だったのだろう」と思うことがあります。そしてこの3年間で何を得たのか?とふと考えることもあります。
高校球児それぞれ得るものは違うと思いますし得たいものも違うと思います。甲子園の切符を得ることが全てではないし、甲子園の優勝旗を得ることが本当の目的ではないと私は思っています。
私は甲子園に出場することはできませんでしたが甲子園の切符を得ることより大切なものを得ることができました。それはかけがえのない宝物です。
本当に得たいものを得られるように高校球児にはこの夏を過ごしてもらいたいですしこれから甲子園を目指す少年、少女にはもっと素晴らしい何かを得るために頑張って欲しいものです。
それでは、今回は以上にします。
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この記事を書いたのはこんな人
沖増茂伸(おきますしげのぶ)野球専門カウンセラー
◆元社会人野球選手(現役10年)
◆都市対抗野球全国大会優勝
◆東海地区ベストナイン受賞
◆ベーブルース杯大会首位打者
◆東海地区春季大会首位打者
子どもの技術向上はもちろん、子どもの上達に悩むお父さん お母さんの悩みを解決しもっと楽に子どもと野球に向き合って欲しいという思いで情報配信しています。
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