こんにちは。野球専門カウンセラーの沖増茂伸です。今回は「私の全国高校野球選手権大会地方大会」というテーマでお話をしていきます。
梅雨が明け、セミも鳴き始めた今日この頃。全国では熱い戦いが始めりました。高校球児はこの日のために汗水たらし、血を流しながら厳しい練習にも絶えてきました。すべてはこの日のために、すべてを犠牲にしてやってきたといっても過言ではありません。
高校球児それぞれいろいろな思いがあると思いますが全力で戦ってほしいなと思います。そんな全力で戦う姿を後輩たち、そしてこれから高校球児になろうとしている中学生、小学生にもしっかり見せてあげて欲しいものです。
かつては甲子園を夢見る高校球児だったこの私も今は子どもたちに野球を教えています。甲子園の夢が散ったあの日からもう、23年(2018年現在)の月日が流れています。しかしあの夏の日のことは今でも鮮明に覚えています。特に敗退した試合のことはハッキリと覚えています・・・と言いたいのですがある一部分だけは全く記憶に残っていないません。当時は氣が付いたら球場の外にいた。という感じでした。その時の場面は後程お話しします。
上の写真は高校3年生の夏の大会です。この写真のグラウンドからして初戦です。写真を見てたくさん時代を物語っているなと思います。みなさんはいくつ見つけれますか?審判さんの身に付けているもの。キャッチャーミットやバットなど。私の時代はバッティング手袋は禁止。そもそもバッティング手袋で打つという感覚がありませんでした。当時はネクストサークルにロージンバックがあり手が真っ白になるまでつけるのが流行っていました。
そう考えると本当に野球も進化してきましたよね。道具だけでなく技術的なことを始め戦略や練習方法、指導方法など大きく変わってきました。「古き良き時代」という言葉のように良いものはそのまま残せばいいのですが、変えるところは変えないと今の時代「野球ができなくなる」環境になっていると感じます。
さて、話を私の夏の大会の思い出話に戻しましょう。
この試合は初戦と言うこともありましたが本当に緊張したのを覚えています。ガチガチでしたよ。地に足がつかない状態をあれほどまでに体験したことはありませんでした。当時私はショートを守っていましたが私だけでなく全員ガチガチに緊張していたのですが周りが全く見えていない私は誰かに声をかけるわけでもなく指示を出すわけでもなく、ふと「あれ、なんで俺ここにいるんだろう」と思ってしまうぐらい球場の雰囲気、夏の大会に完全に飲まれていました。
今ならメンタル的なことや、やることが分かっているのでそう言った場面でも緊張せずに周りを見る余裕はありますが当時の高校生の私にはメンタルトレーニングもしていませんし基本的にビビりな性格ですし、恥ずかしがりやな私ですから周りが見えるはずがありません。当時はメンタルトレーニングといえば「気合!」「根性!」「俺はできる」という根性論でしたから今考えたら本当に根性論は意味がないことを知りました。
この記事を書きながら思い出しました。当時、私の中でいつも身に付けていたものがありました。それは「お守りです」。PL学園が胸に手を当てる仕草で、ユニフォームの下にお守りがありそれを握ることで平常心に戻れるというおまじないです。私も新チームになってから練習中はもちろん、練習をしていない時でもいつも身に付けていました。毎日頑張っていれば神様が絶対に力を貸してくれる。弱気になった時には神様が勇気を与えてくれる。そう信じて毎日頑張っていました。
しかし、初戦になりいざ試合が始まると、お守りがあることも忘れ初戦では一回もお守りに手を当てることがありませんでした。
なんとか、初回の守りを0点で抑えベンチに戻ってきた私たちですが当然、私たちの様子がおかしいのは監督が一番よく分かっています。戻ってきた私たちを笑顔で迎え入れ(当時の監督は本当に怖くていつも怒っているイメージしかないので笑顔で迎える監督に戸惑いました)全員で円陣を組み監督が一言「ベンチの上を見てみろ」。そこにはベンチ入りできなかった仲間が一生懸命に自分たちを応援している姿でした。当時はベンチ入りできる人数が15人でったのでベンチ入りできない仲間が何人もいました。
ベンチ入りできなかった仲間の姿を見て私たちも「ハッと」氣づきました。私たちは一人で試合をしてるのではなく仲間と一緒に戦っているんだ。ベンチ入りできなかった仲間も一緒に戦っているんだ。そのことに氣づきチームにも活気が出てきて自然と声が出るようになり、だんだんと平常心に戻ることができました。
この経験が私はものすごく役に立ちました。社会人選手になっても大きな大会や都市対抗予選、都市対抗本選など弱気になったり、気持ちが入らなかったとき、凡打して落ち込んでしまったときに自チームのベンチの上を見るようにしていました。
そこには私たちを応援してくれる人々、私たちを見に来てくれている仲間や友人、そういった人たちを見ると「このままじゃダメだ」と思い気持ちが入り前向きになることができたのです。
もし、あの時の監督の一言がなければベンチ上を見ることはなかったでしょうし、もしかしたら「お守り」みたいなものに頼っていたかもしれません。
その後、平常心に戻った私たちは普段通りの野球ができ終わってみればコールド勝ちでした。あのまま監督の一言がなく試合を進めて行ったらどうなっていたか…多分、エラーはたくさんするし暴投も連発でしょうね。打つ方もさっぱりでしょうね。
まだまだ初戦のことで書きたいことはありますが長くなってしまうのでこの辺で終わり次回は2回戦のお話をしたいと思います。
いつまでも色あせることのない夏の思い出を胸にいつまでもあの頃の野球少年のままに41歳(2018年現在)でもバリバリ現役で野球を頑張っていきます。
それでは、今回は以上にします。
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この記事を書いたのはこんな人
沖増茂伸(おきますしげのぶ)野球専門カウンセラー
◆元社会人野球選手(現役10年)
◆都市対抗野球全国大会優勝
◆東海地区ベストナイン受賞
◆ベーブルース杯大会首位打者
◆東海地区春季大会首位打者
子どもの技術向上はもちろん、子どもの上達に悩むお父さん お母さんの悩みを解決しもっと楽に子どもと野球に向き合って欲しいという思いで情報配信しています。
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